|
|
理想の移住を考える |
この章では、理想的な移住を実現するために参考になるであろう視点を気ままに提供していきます。移住に興味がある人は、参考にして下さい。 |
2000年 2月 6日公開
2015年 7月20日更新 |
|
田舎暮らしの厳しい未来? 「北海道ならどこでも・・・」は危険!! 専門知識は身をたてる! 公務員人気の影 年寄り定住促進事業の光と影 土地よりヒトありき? 人口減には理由がある? 地域への違和感はあたってる? 「地域」って何? |
地方の住民にとっても無論それは切実な願いであり、むしろよりよい水準への向上を望んでいます。 しかし、それを脅かす動きが出てきています。 それは最近の政治家たちが大好きな言葉「改革」の動きです。 「地方切り捨て」に重点を置いた改革の結果、地方の生活水準は今後どんどん厳しくなることが予想されます。 すでに病院では医師不足もあり、医療圏の広域化、医療機関への距離・所要時間の増大が生じています。その点については「移住年数別の生活実情」でも採り上げました。 道路は既存の主要路線は国道としてよく整備・維持され、冬場の除雪も概ね行き届いています。しかし今の「改革」の中で、北海道開発局の縮小に伴い、道路維持の民間委託や道道・市町村道への格下げが生じれば、これらの質は確実に低下します。これまで生活道路は原則維持されてきていますが、冬場通行できない道路が増える可能性もあります。 道や市町村の財政も厳しい中で、ゴミ収集などの住民サービスの低下も予想されます。また水道や学校など行政が抱える最低限のライフラインの維持すら思うにまかせなくなる可能性も否定できません。地方のバス路線などは行政の補助でかろうじて成り立っている状態であり公共交通機関の維持も困難になるかもしれません。 さらに、世界的なエネルギー不足が予想される中で、「人権より公益」だの言い有事法だの作っている今の政治が、個人の車で使うガソリンや個人の住宅で使う灯油などを、特に人口の少ない地方に対していつまで安定供給してくれるでしょうか? 「普段は田舎で暮らして必要があれば街に出ればいい」というライフスタイルを描いて移住を検討されている方は多いと思いますが、その前提すら疑わなければならない厳しい状況があるのも事実です。 むろんそこまで厳しいことにならなければそれに越したことはありませんが、どうなることでしょうか? 2006.5更新
あなたのイメージにあわない地域や時期も多くある 移住を目指すあなたが北海道にどういうイメージを描いているかはいろいろでしょうが、あなたのイメージにあわない地域も多くあるであろうことは間違いありません。たぶんあなたの知る北海道は北海道のごく一部だと思います。 北海道の農村の風景にあこがれているあなた、北海道には漁村もあります。酪農しかできないところもあります。林業の町もあります。 北海道の花の風景にあこがれたあなた、北海道には冬もあります。花が咲く時期以上に何もない時期が多いです。気候の厳しさから咲く花が限られる地域もあります。 北海道のどこまでも続く雄大さにあこがれたあなた、北海道には離島もあります。旅人的には離島は垂涎ものですが、そんな楽しい期間は1年のうちいいとこ3か月です。本州と変わりばえのしない山の続く風景も多くあります。 「どこでも行く」という人は全道採用の仕事の人によくみられるようです。でもみんな行きたいところなど決まっていますから「どこでも行く」人はそれ以外のところに行く可能性が高いです。そういう点も考慮したほうがいいでしょう。
その点、専門的技量を持った人は強いです。医師とか弁護士とかのクラスは言うに及びませんが、看護婦、薬剤師、建築士等々仕事をみつけやすい資格を持った人は極めて有利です。住む地域を選ぶ自由もかなり持ち合わせています。 ただ専門知識でも絶えずそれを時代にあわせて向上させていかなければならないものがほとんどですが、例えば高度な書籍は地方ではなかなかお目にかかれません。キャリア向上を地方で行うには大都市に住む場合の何倍もの労力(とカネ)を必要とします。それができなければ使えない浦島太郎になってしまいますので、その点も考慮に入れねばなりません。 もっともその点は誰でも同じです。時代についていけなければいらない人間になります。情報収集には都市部の何倍もの労力がかかります。公務員でもキャリア作らないとそのうちリストラされるぞ、ど自分に言い聞かせたりしています。
また一般世間ではまだ公務員は生活が守られるという信仰がありますから、公務員への転身となれば、移住やUターンに関して親戚から妙な反対意見を出されにくいという現状もあります。 ところがそうした状況が変わろうとする動きがあります。国民の平均的生活水準より機械的民間準拠に関心のある与党政治家により、民間給料より公務員給料の方が高い地方の状況はおかしいとする主張がされ、中央勤務の公務員の給料を上げ、地方勤務の公務員の給料を下げようとする動きが出てきています。 これが実施されると、都市部と地方との生活格差が決定的となり、よほどの縁故がない限りは、移住やUターンにあたり著しい生活水準の低下を受け入れるしか道がなくなります。その結果、移住やUターンが減少することにならないでしょうか。またこのことは条件の整ったごく一部の民間企業の賃金を引き下げる効果も生み、生活格差を決定的なものにします。 移住に限らず、地方の高等教育機能が限りなく低く進学に都市部に出ざるを得ない現状で、地方から流出した出身者が地元に戻ることも妨げる結果にならないでしょうか。地元出身者でも戻れるものなら出身地に戻りたいと思っている人は多いはずです。ただ生活条件を満たせる仕事があまりに少ないので戻れないだけです。それをさらに減らしてどうしようというのでしょうか。 いったん都市部の生活水準を見てしまったらそこから生活水準を大幅に下げてまで地方で生活したい理由のある人はごく限られるでしょう。それをごまかす手段として郷土愛を押しつけようとしているのならばとんでもないことです。 また一度公務員になると民間に戻るのは並大抵のことではありません。口利きで利権を回せる立場の人なら別ですが、そういう人でなければ民間で必要な理由などどこにもありません。給料を民間準拠と言えばもっともらしいですが、「給料条件があわなくなった時の転職環境」は民間準拠ではありません。公務員の裏にはこうした面があることも考えたほうがいいでしょう。
この事業のぶっちゃけた狙いは、退職世代の持つ退職金などのカネです。確かにそういう方が多く来れば、そうしたカネで数年は潤うかもしれません。しかし年金は破綻状態、介護保険・健康保険・税などの相次ぐ負担増による高齢者の可処分所得の減少が続いている現状、年の経過とともに医療負担が増え国保など地域の負担を増やすことになるのには気づいているのでしょうか。経済的負担のみならず、若者層が地域から流出せざるを得なくなっている中で、現状でも老老介護などの問題が生じているのに、移住者の面倒まで見ていられるでしょうか。 来られる方も自由が利く身のうちはいいですが、いずれそうでなくなる時がきます。大都市では病院は歩いていける距離によりどりみどりあったでしょうが、地方の病院は今は減る一方でひどいことになっています。車しか移動手段がない中で高齢者の交通事故も加害・被害ともに増えています。いくら北海道の地域が本州に比べてよそ者に優しくても、齢を重ねてから違う地域に適応するのは容易なことではありません。本州とは異なる風習も多々あります。 別にそうした方に来るなというわけではありませんが、そうした点も考慮されるといいと思います。こうした事業の裏に都会から老人を姥捨て山に厄介払いするような発想があるならとんでもないことですし、カネ目当てに移住者を呼び込むのも悲しいことです。行政がこうした事業に熱心な裏に、道内の働き盛りの世代が仕事にあぶれ、不本意ながらも道外に流出しているという悲しい現状が放置されている状況もまたあるわけです。 2007.10更新
都市部や一部の新興住宅地以外のほとんどの地域には、なんらかの地域的つながりが出てきます。地域行事があることもあるし、地域の仕事がある場合もあります。その時大事になってくるのがそういう場面で「その地域の人たちとうまくやっていけるか」ということです。 理想的なのは「ここの地域の人たちと仲良くなったからこの地域に住みたい!」というのが明確に出てくることだと思います。それがあなたの移住生活をより満足のいくものにしてくれるはずです。地域に「体のいい労働力が来た」くらいに思われるようでは後々不満も出てくるでしょう。永住するなら地域の人たちとの相性は大事です。 (参考:2000年1月25日北海道新聞「移住者交えた活性化課題」)
でもそうした促進策にひっかかる前に少し考えてみてください。 人口が減るのには必ずそれなりの理由、問題があります。 人口が減る理由は簡単です。仕事がない、条件が悪い、教育環境が悪い、医療が悪い、地域の人間関係がイヤ、理由はいろいろあります。地元で生まれ育った子どもたちだってどんどん流出していくのです。サケか何かのように帰ってきてはくれません。 生粋の地元っ子だってそうなのです。それすら止められないでよそ者の面倒なんか誰が見ますか?はっきり言って移住者なんか用が済んだら使い捨てです。どっかの国の電機メーカーと同じです。 昨今流行りの地域おこし協力隊なんてのもまさにそうではないかと思います。国の補助で数年程度の契約でやってきて終わったらどうするのか。それで簡単に成功するならとっくの昔に地元で誰かがやっています。残ったとしても帰るところがないから程度の理由では困ります。地元でも他に行くところがないからという理由で残っている人が少なからずいるのも現状です。 人口減対策で移住者に土地をタダ同然の値段でくれるような地域もあるようですが、よく見ると地元業者で建設なんて条件がついていたりすることもあるみたいです。選べるほど業者がある地域は非常に限られます。地元業者が一時潤ってその後どうなるのか、ちょっと怖すぎておすすめできません。 労働力不足になって人手不足になる?らしい中で希少な地元の子どもですら出ていかなければならないような地域に、移住者が入ってどうなるのか、その点も考えたほうがいいでしょう。 北海道でも人口減対策など言葉だけは本気と言っているみたいですが、現実は人口を減らしたいのかと思うことが少なくありません。 若干の移住者を差し引いてもなお、北海道から本州に人口は流出し、道内では札幌一極集中がすすんでいるようです。そうした現実の背景にあるものを考える必要があるのかもしれません。 移住者でも帰っていく方もいるようです。私自身も含めて改めて移住の意味を考えてみないといけないかもしれません。 2015.7更新
私が北海道に移住してすぐ道東のその地域では中心的な町で感じたことです。 本州の大手スーパー系列の店で、店員がマニュアル棒読みの接客に衝撃を受けたものです。いくら接客にマニュアルがあるとはいえ、マニュアル棒読みははじめてみました。同じようなマニュアルを使えばその質にさほど著しい違いはないはずですが、ここまで質が下がるのかと。その違いは何なのかと。 マニュアルは同じでも、地域が違うのでしょう。原因はそこではないかと。 それはほかの場面でも感じました。 道東を拠点とする回転ずしがありよく利用しますが、普段は旭川の店舗を利用します。その店の拠点である道東のある10万都市で利用すると、やはり違う。接客もイマイチで仕事も遅いのて空席が山ほどあっても案内しない。お寿司の材料は確かで道内共通との確認は本部からも取れています。店の作りもほぼ同じ。マニュアルも同じはず。違うのは現地採用の店員のみ。 ちなみにその都市では、本局の郵便局の職員が客そっちのけで私語をしていたりしたのも体験しましたし、ある開業医では窓口でいくら呼んでもだれも出てこず中から無駄話が聞こえるので窓口の目の前から電話したらのこのこ出てきたなどということも実際にありました。何か根本的な問題がこの都市にはあるようで、道内でも大嫌いな都市のひとつです。旅行的価値はない町なので、旅の頃には寄りもしませんでしたし、好き好んで行かない町ですが。 この違和感は地域に住んでみるとほかのいろいろなところにも確実に出てきます。 地方の教育環境は良くないというイメージがあるようですが、実際にあたっています。学力的にも北海道では札幌市・旭川市とその他にはっきりわかれます。それは学校どうのと言うより地域全体に起因する問題だと思っています。北海道全体に自然一流、食事二流、サービス三流と言われますが(私は三四がなくてサービス五流と言いますが)それもあたっています。地域にそういう風土があるのだと納得することもあります。その風土は住む中で確実に自分や家族の人格形成に影響を及ぼします。特に小さい子供ほどそれを自分の人格として会得してしまいます。道外に戻ろうとしてもどうにもならなくなる可能性もあります。 移住先を選ぶときにはそういう感性も考慮するといいと思います。 チェーン店など他都市や全国との比較になるもので比較するとわかる面もあるかもしれません。違うのは立地の地域だけですから。 2015.7更新
「地域」の発展のためにと引っ張った大規模公共事業が結局は特定政党の政治家に献金する特定業者のみを肥やし、さらには公共事業に依存しなければ成り立たない「地域」を作り構造転換・不況脱出の遅延につながっているのはご存じの通りです。 大規模事業の有無にかかわらず基幹産業が「公共事業」となってしまった「地域」は財政赤字・公共事業削減を前に暗い雰囲気が漂っています。 教育現場では週休2日制とセットで「ゆとり教育」とは名ばかりな新学習指導要領が導入されました。この流れの中で「地域」の教育力の向上があちこちで議論されています。 しかしその姿を見ると「地域」とは具体的に何なのか考えてしまいます。 たとえば「地域」でとにかく集まって何かイベントをやることが「地域」の具体的中身なのでしょうか。そのために「地域」で会議だの寄り集まって自分の子どもと接する時間を減らしている姿を見ると何かが間違っている気がします。 社会教育にしても同様で土日にこれまで以上にイベントをやるようになりました。中には親子で自由参加すれば楽しそうなものも見受けられますが、家庭で工夫して親子で接する機会を奪うことにはなっていないでしょうか。部活動や類似したスポーツ活動も平日に時間の余裕が「ゆとり教育」で減った分土日に熱を入れているようです。そこで熱心になっている教育関係者の方々、自分の家庭は大丈夫ですか? 昔の子どもたちはほっておいてもそのへんで勝手に遊んでいたものです。それを週休2日制になったからと「地域」が居場所を作ることによって子どもが自ら遊ぶ時間を奪い、場がセットされなければ遊べない、そして自分で考える力をますます低下させているのではないでしょうか。 週休2日制は子どもを家庭に帰す日でもあります。「地域」で寄り集まって何かする前に自分の子どもと接する時間は十分にとれていますか?子どもが遊ぶ時間は十分にとれていますか? 子どもと接したり家庭に目を向ける時間を確保すること、それができるような体制づくりをすることが真に居心地のいい地域作りにまず必要なのではないでしょうか。
|