小笠原空港問題について
1997年1月10日公開

 東京−小笠原を結ぶ船は週に1回。しかも現在東京(竹芝)−父島(二見)が29時間かかる。戦前東京−父島−母島−硫黄島が船で8日かかり、月2便だったことを考えれば隔世の感だ、と言われて納得してはいけない。地球の裏側・南米まで24時間でいけることやほぼ同緯度の沖縄へ飛行機で2時間たらずで行けることを考えれば、小笠原当地の隔絶感は大きい。それとか、船に弱い人はどうするの? 東京まで片道29時間地獄のような苦しみが続く。「現地の人はみーんな慣れてるだろう」などと安易に考えてはならない。現実はそううまくはできてないのだ。
 というわけで、小笠原に空港を作ろう!という話が起こるのはある意味で自然なことかもしれない。ところが小笠原、特に父島の土地は起伏が激しい。ジェット機が飛べる滑走路を作れる土地など実はどこにもない。
 そこでその候補地として挙がったのが隣の兄島である。兄島の候補地(左図)は台地になっているそうで、比較的滑走路が作りやすい。また無人島で国有地なので用地取得も比較的容易である。
 そんなわけで、順風満帆、さぁ空港を作ろう!というときにひとつ問題が起きた。環境庁や学者どもが「兄島の自然は世界的に貴重」などと言い出して建設計画がストップしてしまった。地元に言わせれば環境庁は空港建設を止めた悪玉にしか映らず、「弱小省庁が何をほざくか」程度にしか聞こえなかったことだろう。地元の受け止め方も「兄島の自然がいかに貴重でもわれわれにはわからない。それより空港建設が先。我々の生活がかかってるんだから」といった様相であった。
 そこで作り直さざるをえなくなった空港建設案。作り直されたものは小笠原に行くとところどころで看板になっている。案はやっぱり兄島。で環境に配慮し、「兄島におく施設は最小限、兄島と父島をロープウェイで結び、ターミナルなどの必要施設はすべて父島側に置く」とか。
 ところで思い起こしてほしいのは94年9月に開港した関西新空港。この空港は海上エアポートとして24時間稼働できることを売り物にしていたが、なまじ本土との連絡手段を連絡橋としてしまったために、空港に着陸できても風が吹けば通行止め、空港に足止めされてしまう欠陥空港であった。兄島と父島をロープウェイで結ぶなどという構想にこの反省が入っているのか。東京−父島にジェット機が就航した場合、飛行機よりロープウェイの方が就航率が低くなることは容易に予想される。またそうなった場合、兄島にターミナルが一切なければ利用客が空港で吹きさらされることになり、結局兄島に施設を置かざるを得ないことになるだろう。
 じゃあ、兄島以外にどこに作るの? と言われてしまうとこれが難しい。父島の中に作れれば理想的だろうが起伏が大きく難しい。空港計画を見直すときに父島南部に作るという話もあった。しかしここも父島の中では貴重な植物の宝庫。とは言え小笠原に生えてる植物種のうち実に4分の3が固有種だっていうのだからどこに作ってもその事情は多かれ少なかれ同じ。父島の洲崎のあたりには戦時中に応急で作られた飛行機発着場があった。しかし本当に応急のもので空軍機が離着陸できる程度。旅客用には用を為さないだろう。
 兄島の自然に理解を示し、空港建設に反対する地元の人には、現在緊急時の搬送に利用される飛行艇を定期便化するのも一法であると主張する。それならば空港建設費は(現行の自衛隊の施設を利用すれば)かからないか、ごく少なくて済む。しかし東京都側は「運航上の制約がある」としてこの案は突っぱねている。その制約とは何か? 運航コストの問題であろうか。飛行艇の運航には1回200万から300万円の経費がかかるらしくそれならば一定の理解は置けようが、その制約内容の示すもの如何では「なぜ緊急用に利用できているものに運航上の制約があるのか」という疑問を招こう。
 飛行艇の問題点が就航率の低さであるとするなら、不定期便という形ででも試しに運航してみてはどうか。地元にとっては空港の必要性は切迫したものであるはずだ。少なくとも整備新幹線よりはよほど切迫しているはずだ。本格的な空港の開設はそれから考えてみても遅くはないはずだ。空港問題がこじれている間に地元に貴重な自然環境を軽視する風潮が生まれるのを恐れているのは私だけであろうか。(終)

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