この章のポイント 北海道に移住して子どもふたりを含む家族に恵まれました。
ここでは子ども達とのかかわりについて我が家の具体例で書いてみたいと思います。
なお、日々の様子についてはブログにもありますのであわせてご覧ください。
目次  夫婦共働き
 日々の暮らし
 これからに向けて
風景
2015年 3月 1日公開
2017年 1月 1日更新


 北海道に移住して私にもふたりの子どもを含む家族に恵まれました。
 北海道に移住して今の仕事に就かなければ出会うことはなかった子ども達です。
 最近では仕事と家庭生活の両立なども社会的に言われるようになってきましたが、子どもを授かってから子ども達と共に過ごす時間を大事にしたいと思い、取り組んできたつもりです。子ども達はお父さん大好きに育ってくれました。それだけでも北海道に移住した意義があったというものです。

 ここでは、子ども達との育児面でのかかわりをとりあげたいと思います。

子ども達との時間をめざして
 〜 夫婦共働きの環境も活かして子ども達との時間をとっていきたいです 〜

家事やります

 夫婦共働きであり、また妻が教員でありどうしてもある程度は時間外の仕事が生じざるをえないことから、家事は私もそれなりにやっています。
 子どもの保育所への送迎から、風呂に入れて、夕食を作ってぐらいのことはこなします。家事は嫌いではないですし、自分だったら毎日全部やるというのももたないなぁと思うので。
 休日になると畑や除雪、薪割りなどを含む家での外仕事があるので、妻に任せることが多いのが現状です。

なので基本は定時退勤

 そのため基本は定時退勤です。
 最近は少ないですが、子どもの体調が悪くなり早退が必要な時も、基本的には私が対応しています。
 職場には迷惑をかけている部分もあるでしょうが、いつ抜けても仕事が滞ることがないよう(→仕事の性格上自分がやらないと基本的に止まる)先々を意識することと、仕事に関する情報をなるべく共有することに気をつけながらやるようにはしています。

育児休業は取得せず

 気持ちは取得したかったですが、取りませんでした。
 理由は簡単で、育児休業を男性が取ろうとすると、嫌がらせのような事務手続きが待っていることを仕事柄よーく知っていること。
 国は男性の育児休業取得率の向上などと言っていますが、ムダな手間と出費だけが増えて何のメリットもない事務手続きが妨害していることは、何も考えていないようです。少し運用を見直すだけですごく簡単になることは仕事柄よく知っていますが、少なくとも北海道に関してはそんな発想など微塵もないようです。すべて煩雑な手続きは官僚主義のためのみにある、そんな現状です。

 育児休業取得率うんぬんも需要があるならいいかもしれませんが、それよりも育児休業を取らなくても男女問わず仕事と子育てを常に両立できる環境があった方がずっといいんじゃないかと思いますが。

仕事に代えはあっても家族に代えはない

 最近はイクメンなどと称して仕事と家庭生活の両立を図る若者の動きが出てきています。
 呼称は嫌いですが、こうした方向性には賛同します。
 終身雇用や年功序列が揺らいでいる中で仕事のみに注力しても報いが受けられるか疑わしくなっていることも背景にあるのでしょう。
 外でひたすら仕事して家にお金を運んでくるだけだったお父さん像では、成長による収益が望めた高度成長期は良かったかもしれませんが、低成長時代には対応できないと思います。
 お金のみの関係では、生命保険と天秤にかけられるか、定年退職したらカネの切れ目が縁の切れ目と家族からもさようならか、これからそうした老人問題が社会問題になってくるのではないかと思います。

 仕事に代わりはいても、家族には代わりはいません。
 その中で、家族の中でいかに信頼関係を築いておくか、特に子どもが小さい時に築いた関係は、一生にわたって影響を及ぼしていくと思います。
 もちろん生活の糧となる仕事は大事ですが、仕事と家庭生活の両立はこれからのこの国では必要になってくるのではないかと思います。

飛ばされた

 夫婦共働きでの育児参加に意欲をもっていたつもりでしたが、職場からは単身赴任での飛ばし人事という仕打ちを受けました。
 自分が無能だったから家族を守る人事を得られなかったのでしょうが、北海道、少なくともこの地域の職場では、男性の育児参加とか、教育活動への親の協力などというのは、排除の対象でしかなかったのでしょう。

 他人の生き方に干渉するつもりは毛頭ありませんが、私自身はカネを運ぶだけの機能しかない家族なら必要とされないと思っています。
 カネを持ってくるATMだけの機能しかないなら、生命保険いっぱいかけて遺族年金もおりればそっちのほうが経済効果が高いでしょう。夫婦共働きで育児に非協力な旦那を持つ奥さんは同様な考え方で旦那に死んでほしいと思う人もいるようです。
 これからの時代、仕事人間など家庭での存在がなかった人間は退職後の居場所を失い、孤独老人多発となって社会問題化してくると思っています。
 単身赴任者なんか週末いくら何をしようが所詮そんな機能しかないと思います。一日いなくて困らない人間は一生いなくても別に困らない存在です。

 私も自分の意思にかかわらずそんな存在に成り下がってしまったということです。
 子どもが小さく成長上大事な時期に育児参加の機会を奪われ、死んだらいい代物に追い込んだこの地域は許すことができません。

 単身赴任自体は1年で解消しましたが、妻は不本意な異動希望を書くよう追い込まれ行き先はこの地域では一応都市部のつもりでも有名なブラック職場で帰宅が遅くなり平日は実質今度は父子家庭になり、子どもたちは学力も人間性も低い地域への転校を強いられ出身地もなくすことを強いられました。
 子どもの転校先はそうした地域でも少しでもマシなところを探し、とりあえず学級崩壊もいじめられる様子もまだないのが不幸中の幸いですが、これがこの地域にもとめられる精一杯というのがむなしい限りです。
 地域と関係のない「よそ者」の目で見れば、転校した方が学力的にはまだマシという考え方もできなくもないですが、進路がお寒い実績しかないのはそう大差がないのが現状。地域の人間性が低いという意味ではかなりの重症で、前の地域は妻や義母などまともに育った身内という実例がありますが、ここはそうではない。この地域の影響をなるべく受けてほしくないというのが本音です。

 子どものことを思えば、人口を増やしたいとか子育て支援とか、排除された我が家から見れば事実は真逆のウソを平然とつく程度の低い地方を捨てて、もう少しまともな都市部を目指すきっかけになったことをせめてものプラスと考えざるを得ません。
 かくして我が家も地域を捨ててもう少しまともな地域の都市部への異動を希望していくようになってしまったわけです。




子ども達との日々の暮らし
 〜 子ども達との日々をこのように過ごしています 〜

近すぎず遠すぎず

 子どもと共に過ごす時間を大事にしたいですが、いつも一緒に遊んであげるとか、お友達になるとか、そういう過ごし方はしていません。
 こちらも家の仕事も多くあるので、本当に必要な時にいつでも呼べるような場所にいさえすればいいと思っています。
 子ども達は多くの時間を姉弟で仲良く遊んでいます。子どもの世界を一番分かるのは子ども同士なのではないでしょうか。

お手伝い好き

 子ども達は家の手伝いもいろいろします。
 うちでは基本両親とも家事をするのでその影響もあるかもしれません。
 料理の手伝いなども喜んでやります。洗濯なども自分たちだけでできるようになってきました。出来ることをどんどん増やしていきたいと思います。

畑が遊び場

 子ども達は仲良く畑や家の内外で遊んでいます。
 こちらも畑仕事があるので基本放置になりがちですが、楽しくやっているようです。子どもの世界に大人が入る必要もありません。
 彼らも畑仕事は1歳前後からはじめています。種まき、野菜の収穫、雑草抜き、石拾い、虫取りなどなど、頼めばどんどんやってくれます。勝手に掘り荒らすようなことはしません。

学校や地域の影響は避けられない

 北海道の学校は規模が小さく、1学年1クラスというところも多く、地方都市でも2クラスとかその程度のところが多くなってきています。
 うちの子ども達も経験しましたが、1学年1クラスではクラス替えもなく、人間関係は保育所時代から続く固定化されたものになりがちです。
 子ども達はその固定的な関係をうまく使っているのかお友達ともうまくやり日々楽しく通っているようです。

 ただ、こうした学校をみていて思うのは、どうしても地域や学年ごとの色が出ます。子ども達も良くも悪くもその影響を確実に受けていると感じることは多々あります。
 それは学力から生活習慣まで同じで、学校の最大の意義は子ども集団だと思います。集団が良ければ伸びるし、そうでなければそうでない。その集団には学校や先生だけでなく、親や地域などいろいろな影響があります。
 学校や先生達はその集団を前提に少しでも地道に良くしていけばいいことで、全国を比較ベースにしてテスト競争をしたり、目立つための奇抜な取り組みなどをする前にすべきことがあると思います。

 教育事情がいいかと言われると、残念ながら決して良くはありません。
 あんまり影響を受けてほしくないというのが正直なところです。

 小さな学校でも妻も義母も卒業した学校であり、地域の人もある程度お互いに知っているという意味での地縁のある地域、さらに学校の先生達も同僚で悪い人でないことも考えていることもある程度わかっている学校ならば、あとはこちらの育て方次第なのかと思う部分もあります。そうでないとある程度の内部情報を調べられたとしても環境としては厳しいなぁと思ってしまいます。
 都市部に行けばいいかと言われると地方都市レベルではそのようなこともなく、地縁のない地域ではなおさらなのが現実だというのが、学校の裏側を知ると思うことです。

お友達関係

 基本学校では親との関係にかかわりなく誰とでも仲良くしてくれればいいと思っています。子どもの人間関係にはトラブルがない限りは立ち入る気はありません。
 ただお友達を家に連れてくるというのはどうかなと思っています。安全面から基本的に共働きで親がいない家には連れてこないこととしていますし、親側には学校職員という微妙な立場もあります。
 PTAなどで焼肉するとかそういう話もあり、子どもは肉のあるところには行きたいのかもしれませんが、近年は食の安全の問題もあったり、また家庭観の異なる家庭との交流による影響も気になるところ。参加しないのは非国民みたいな閉鎖的な地域作りにも加担したくないのも悩みどころです。

お勉強

 基本放置になってしまっています。
 通信添削や市販のドリルを与えると、時々せっつくことはあるものの、自分たちですすめてくれます。教材の説明をみて学校での未習分野でもひとりですすめてくれるのがえらいところです。
 やったあとの点検と、出来なかったところのやり直し指示が親の主な仕事です。以前は独自教材も作っていましたが、なかなか手が回らず最近は気の向いた時だけになってしまっています。

お出かけ

 もともとお父さんが旅行好きなので、旅行に出かけることは多々あります。
 旅行のほかにも日々の買い物や買い物を兼ねた日帰り範囲でのお出かけなど多々あります。
 道内の旅行では、北海道の良さを知ってほしいという願いがあります。
 道外の旅行では、道内ではできない体験で世界をひろげてほしいと思っています。

 道外は子どもを飛行機に乗せて世間様の迷惑になるのもイヤだとしばらくは行っていませんでした。でも息子は0歳の時から乗っています。騒ぐなどの迷惑行為もなくおとなしく乗っています。道外はお父さんが北海道に移住するまで暮らしてきたところなので、平均的な親よりは自信を持って案内することができます。

 子どもとのふたり旅もそれぞれ実現しました。
 息子が4歳の時に、私の祖父の法事に出るかという話をしていたら、息子が本気にしてきたので、息子とふたりで本州に向かいました。
 その1ヶ月後、私の祖母が不慮の事故で亡くなったので、葬式には当時6歳の娘とふたりでこれも本州に向かいました。
 いずれも本州に着きさえすれば、私の父母や親戚類もいるので、行き帰りをこなせばなんとかなる旅です。

 海外も登場しました。
 お父さんは海外旅行は管轄外でしたが、この国の先行きも不安なことから、子ども達も選択肢として知っておく必要はあるかなと思っています。平和を守れる暮らしや家庭生活と両立できる人間的な暮らしをもとめる結果が残念ながらこの国では無理ということも出てくるかもしれません。
 でもきっかけはこの男。
3歳で飛行機の機内誌の地図をゲット。
さらにおじいちゃんから贈られた世界地図をゲット。
それを片手に「ロンドン行きたーい」って言ってみたら、5歳で行けた。




これからに向けて
 〜 子ども達の将来に向けて思うこと 〜

お父さんの半生を振り返ると

 思えばお父さんは、やりたいことをもとめた結果、北海道に来て、家と子ども達はじめ家族に囲まれた生活をしています。思った通りのことができている現状は幸せだと思っています。

 ただ、世の中で見た時に一流の生き方だったかと言われるとどうかなとは思います。
 自分が親の立場だったらそんなことのためにバカ高い学費を払って大学やったんじゃねーぞ、と思うかもしれません。今の仕事は学歴がなくても等しくできる仕事ですし。

 一流企業に入って出世してという生き方もあったのでしょうが、結果できなかったんでしょうね。組織に従順になんて生活は私には似合わなかったのかもしれません。
 思えば、新卒時の就職活動を振り返ると、一流企業と言われる企業は意外と受けていません。世間が狭かったのでしょう。自動車や家電メーカーを受けたかと言えば受けてませんし、重厚長大型産業も受けませんでした。
 東京ではなく地方で働きたいという気持ちは当時からありました。子ども時代からずっと東京に住んでいましたが、ラッシュの中を2時間とか当たり前にかけて通勤する姿は当然の姿なのか、何を好きこのんで地震の巣のような地域に密集して住む必要があるのか、そんなことをする必要もないんじゃないか、という疑問は当時からありました。
 受けた企業はといえば、東京に本社のない企業を意識していましたが、鉄道好きで浮き足をすくわれた一番行きたかった某鉄道会社は重大事故を起こし、活動中に最も熱心になった某電力会社はいいところまでは行きましたが当時は私大劣位の現実を知り今では原発問題で政治家の舌禍と闘っています。北海道絡みも当時も実は受けていました。いずれも他社と日程がかぶって切った、道内唯一の都銀だった金融機関は就職年の年末に破綻し、級友が採用された道内ほぼ唯一の鉄道会社は不祥事多発で大変なことになっています。
 もしそうした人生を歩めていたとしても、それが幸せだったかと言われるとそうではなさそうですし、何より自分にはもったいないような今の家族を得られることは決してなかったでしょう。

子ども達の将来に向けて

 子ども達は進学を機に人生を選ぶことになります。
 基本的には、彼らが自分で選んだ道を歩いてほしいとは思います。
 ただ、北海道にいることによって、お父さんが見えていた世界が子ども達に見えないという事態は避けたいと思っています。

 お父さんは道外の都市部の生活を知った上で北海道暮らしという生活を選び今日がありますが、子ども達にも両方を知った上で、自分たちで選んでほしいと思います。
 生まれ育った世界しか知らないからではなく、両方の世界を知って決めればいいと思います。お父さんの今の仕事では都市部の生活を経験する確率はほぼゼロです。北海道には都市部と呼べるようなところが札幌圏を除けば皆無に等しいので。だから子ども達は進学という機会に経験するしかありません。
 そのために子ども達が旅立たなければないない日が、東京で暮らすよりずっと早く来ます。

旅立ちの日
daughter
旅立ちの日まで
 娘が家を出なければならないかもしれない日までの数え時計を作ってみました。娘にはじめて逢った日からもう半分ぐらいになってしまっています。思い切った方法でこの日にちを増やすこともできないわけではありませんが、基本的には変わらないでしょう。


進学リスク

 北海道の地方には進学リスクがあります。
 高等教育をもとめようとすると近くにない。名前だけついていても実質が伴うものが極めて少ない。

 あくまで子ども達が選ぶことではありますが、お父さんやお母さんが経験したように大学までは出てほしいし、そこで生きる糧を見つけてほしいと思います。

 一方で、親にとっては教育は投資でもあることから、どんな進路であれ目的が実現できるかどうかもわからないようないい加減な行き先に投資することもできません。
 同じ行くなら一流の場を経験してそこから近所で得られない何かを得てほしい。そういう場からでなければスタートラインにすら立つことの出来ない道も世の中には少なからずあります。

 でも大学と称するものすら近所にないばかりか、きちんとした大学に入れるだけの中身のある高校ですら札幌など都市部の一部に若干あるだけで極めて少なく、親元からは通えない。
 東京では大学を出るまで親元にいられますが、必ずそれより早く家を出ないといけない日が残念ながら来ます。

大学入試や社会の変化についていける「天才」か?
 大学入試が変わるらしいです。子ども達も影響する世代になります。
 もっとも、センター試験の変更自体には子どもの学びとは別次元の意図があると思っていますが、まぁ試験をどう変えようと影響がないのは少しの努力で実を結ぶ真の一流、超天才の種族です。そういう種族が一流の場には少なからずいます。
 影響を受けるのはこれまで努力で成果を得ていた層、これが今までは独学で頑張ってもどうにかなっていたものが、もとめられる能力が独学で獲得できないものであれば、対策産業が隆盛を極め、そうした産業を享受できるカネや地の利のある人が試験をクリアできることになります。北海道を含め地方では不利でしょう。
 独学や対策産業で無理して大学入試をクリアしたとしても就職やその後でいずれボロは出るんですが、子ども達の目標を努力で叶える手法を否定しかねない意味ではこの入試改革はプラスにならないと思います。

 その大学入試をかいくぐって一流の場に行ける水準の人には3種類あると思います。
 ひとつは超天才の種族。一を聞いて十を知るレベルの人。一流の場に実際にそういう人はいます。努力も少しはするけれど苦にならず達成できる人。だいたい社会でもうまくいきますし、大学入試がどうだろうが影響をさして受けない人。
 次は努力する人。勉強してそこそこの成果が出る人。ガリ勉して入る人とかはその種族でしょうか。資格を得て何かをするには向いているかも知れません。ただいろんな士業の人が資格だけではうまくいかないように、資格だけでうまくいくわけでもなく、また制度変更で資格がなくなっちゃったりすると厳しくなります。10年で消滅する教員免許なんかはその象徴でしょうか。資格には隆盛があります。今は医学系とかが流行みたいですが、外国でもある程度は役に立つでしょうが、医療政策の影響ももろに受ける懸念はあります。この国の資格系職業の半分以上は立ち行かなくなると思っています。
 最後は間違って一流の場に行ってしまう人。白鳥の世界に入るとアヒルも白鳥になるとか、朱に交われば赤くなるではないですが、そういう世界に行くと天才になったかのような気にもなります。でも就職とかの時にボロがでます。このタイプは。

 お父さんは最後のタイプなんでしょうかね。残念ながら一流の人間ではなかったみたいです。
 子ども達も残念ながら同じなのか?

 子ども達は頑張ってはいます。ただ、お父さんに似ている部分もやはりたくさんあります。
 そこそこレベルで止まるか、お父さんのように運良く場だけ一流のところを体験できてもそこで止まってしまうかもしれません。

 職業柄最近の子ども達をみていると学力の二極化が激しいですが、二極の下側にいる方が少々頑張って成績があがったとしても天才にはなれない=良い所得や待遇を得られる仕事にありつけない=だから努力してもしょうがない=先生の言いなりに無意味に努力しない、ということを肌で感じているんだとすれば、それはそれでこれからの社会をわかった行動だなぁと感心してしまう部分もままあります。

 結局のところこの国の現状は、勉強して学歴を得ようが資格を得ようが多くは使い捨てという努力を否定する現状が少なからずあります。その中で人間的に生きていくにはどういう方法があるか、それを身につけてくれればいいのですが。



過保護な教育環境にも疑問
 学校や対策産業が過保護なくらい親切な対策で実績を出すという手法が子ども達にいいかどうかも疑問です。
 最近、学校では目に見える成果がもとめられる傾向があり、進学実績などはその目玉にされ、学校が半ば対策産業化している様相があります。学校や対策産業で豊富な補習メニューなどが用意され(先生達にとってはブラック化ですが)そのレールに乗っていけばとりあえず進学実績は果たせるという構図はあります。
 ただ、こうして敷かれたレールに乗るだけのやり方がこれからの社会で生きていく上で通用するかと言えば疑問です。社会に出てからは誰もレールを敷いてはくれません。大学の学び方自体がそうです。
 かつて私が現役時代の都立高校は進路実績的には低迷期で優秀な学生は私立に行く時代でした。放置プレイとまで揶揄されたようですが、学校の実績のために希望する進路をねじ曲げられるようなこともなければ、もとめれば支援はしてくれる、自分で考えて進路を切り開ける、その意味ではいい時代だったと思います(そこで道を切り開き損ねると私のようになってしまうわけですが)。最近は進路重点指定校などで学校も成果を出さねばいけなくなり、学生側からそれでいいのか疑問も出ているようで昔からの校風が生きているという意味では(自分より頭がいいであろう)後輩達も頑張っているみたいですが。

 北海道では親や地域の過保護という問題もあります。
 東京では高校や大学がたくさんありますが、北海道では地域にそうした学校が少なく、変な誇りをはき違えているのか、他にすることがないのか、よくわかりませんが、高校や大学にまで親切心でクビを突っ込む、そうした事例がままあるようです。
 子どもが自立する能力のある学校であればそんなものは迷惑千万以外の何ものでもないと思うのですが。

 子ども達が進路を考える時には、勉強しに行くのであれば相応の学力は当然ですが、自立した人間になれる環境のあるところに行ってほしいと思います。
 学力といっても、もとめるべきは志を同じくする友人に恵まれることが重要だと思います。教員や授業などは、人間がおかしくなくて集団レベルに見合った通常の授業ができればそれ以上の奇異なことをする必要はないと思っています。まともな人間が教員免許を持てばクリアできて当然のことです。
 お父さんが通った都立高校にはそうしたものがありました。制服もなかったですが、高校生にもなれば服装ぐらい他人に決められずにまともな格好をすることぐらいは自立した人間の常識だと思います。細かい校則もなかったですが、服装同様そんなことは言われなくても常識を保つのは当然です。
 同じような環境を目指してほしいと思いますが、そうした環境は今は非常に限られていますし、北海道では極めて限定的です。


職業観の育成に向けて

 親としては、子どもが将来満足に生活できる水準の職業に就いてくれれば、子育ての達成です。

 北海道では子どもの職業観、選択肢をどうひろげるかも悩ましい部分です。

 北海道や地方には少なくてイメージし難い職業というものが少なからず存在します。
 お父さんが子どもの頃東京で生活して感じた職業観と同様なものは得にくい環境です。
 たとえば北海道には大手企業も少なく、ましてやその中枢機構は身近なものではありません。
 そういう仕事は子ども達にはイメージしにくいです。札幌以外の地方都市では特に顕著です。
 こうした地域で見える職業が子ども達の将来にとって満足なものかと言えば、少なからずそうではない部分もあります。

 子ども達には彼らがたまたま暮らしてきた地域の中でという狭い見方でなく、後悔のない広い見方をしてほしいと思います。

 その中で、子ども達の職業観をどう拡げていくか、そのために必要な体験は何か、悩ましい今日この頃です。
 
 とうさんの職場の同僚というか年齢的には目上の世代にあたりますが、子弟の就職状況をみると、はっきり言ってよくありません。
 北海道の地方の学校にいたことが悪いのか、親が教員とかで学力環境はそんなに悪くないであろうはずですが、進学先のレベルは決して高くはなく、その結果就職もブラック企業同然のところを数年で辞めてそのあとどうしただろう?という人が少なからず見られるのが残念な現実です。
 うちの子どもたちにそうした道は歩ませたくありません。
 そのために何が出来るか、これまた悩ましい今日この頃です。


とうさんの夢って何だろう?

 ちょっとした機会があり「将来の夢って何ですか?」と聞かれていい答えが即答できませんでした。

 とうさんの将来の夢って何だろう?
 今の仕事や環境は無視して改めて考えてみました。

 子どもたちが必要としてくれる限り、自立するまでは一緒に住んで自分が与えられる刺激は最大限与えてやりたい、自立してからも、子どもたちが小さい時に義父母が近くにいて助かったことが多かったように、一緒には住まなくても近くで必要な支援ができればしたいと思います。

 彼らの将来を考えると、その場所は北海道ではないかもしれない。
 私は全然かまいません。北海道にも問題が数多くあり、一生いるべき所ではないかもしれない。もしかしたらこの国自体がいつまでもいたらいけない所なのかもしれない。生活や生命が守れ幸せを感じられるところならいい。
 私の親親戚が関西在住であること、息子が思った以上に京都好きになってしまったので、そこにヒントがあるかもしれない。

 私の理想を言えば渡り鳥生活です。
 たとえば夏は北海道、冬は本州のような。夏はヨーロッパ、冬はシンガポールとかでもいいかもしれない。
 日常生活にストレスを感じないまともな住宅に住めさえすれば定住にはたいしてこだわりません。(今の北海道では自分で建てない限りまともな住宅にあたることは容易ではないというかほぼ不可能ですが)

 子どもの夢に乗るのも選択肢かもしれません。
 彼らがこれからどこで何を学んでいくのかわかりませんが、これから何かを学びなおすなら同じものにした方が効率がいい。

 他方、彼らが一生懸命学んでも、行った先がブラック企業や官庁かもしれない。この国にはそんなものが多すぎです。とうさんやかあさんの世界もそうかもしれない。
 その時に生活と生命を守るために、家に戻ってこられる場所がほしい。起業できるならそれも否定はしない。考えられるテーマがあるとすれば、子どものためにこだわった食か、農か、旅か。

 これらが夢と妄想で終わるか、そのために少しずつ歩んでいくのか?


とりあえずは・・・

 とりあえず、今できるのは、この恵まれた環境で子ども達のためにご飯を作って食べさせて、お勉強もみて、世間が狭くなりがちなこの地域で道外出身もと旅人もどきのお父さんの過去を活かして世間を広げさせて、そのぐらいですかね。
 旅立つ日まで数えれば残り少なく感じますが、家族の良さを目一杯感じてほしいと思います。お父さんも1日1日子ども達とのふれ合いを大事にしたいです。

 これからの時代、当たり前に働いて人間的に生きるということが厳しくなるかもしれません。それが難しくなっている業界や、せっかく学んだことを活かすことが許されない人が多くみられる残念な社会になりつつあります。

 子ども達には、人間的に働ける仕事を得て、健康に生きていける人に育ってほしいと思います。


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